「彼はキレやすかった」。
世の中はみんな頭を悩ませている。「キレる人間をどうすればいいのか?」
「キレやすい人間達をどこかに隔離した方がいい」
そんな議論さえこの日本のどこかにはありそうだ。
「キレる人間の対処法」は簡単だ。
彼に寄り添い、彼が何を考え何を不満に思っているのか思いやり、全面的に受け入れ、尊重するということだ。
「そんなこと言っても、キレるんだからどうしようもない」
そういう人がいるかもしれない。
だからさ、「どうしようもない」と思っているからどうしようもないんだよ。
人がキレやすくなるには、必ず原因がある。世の中に対する不満、自分への不満、あらゆる不満。
「そんなの、わがままなだけでしょう」
そりゃそうだ。
だけど僕達人間は、それほど立派な人間だろうか?
単純なことで人に対して不満に思ったり、ひがんだり、ムカついたりしないだろうか?
「不満に思っても、僕達は人に迷惑をかけないから」
それも重々わかる。
でもそれは、ただただ不満が軽いのだ。
「キレやすい人」は、始終不満を抱えている。
常に不満を抱えている。
生きていること自体、不満なのかもしれない。
「なんでそんなに不満なの??そんなの、自分が未熟なだけじゃないか??」
そりゃそうだ。未熟なのだ。
だけど何度も書くが、僕達はそんなに成熟しているだろうか??
親からなじられ、友達に否定され、恋人に飽きられ、そんな生活をしていてそれでも僕達は他人に迷惑をかけずに生きていけるだろうか?
「生きていけるよ」
そういう人がいるかもしれない。しかしそれはそんなに簡単なことじゃない。
人の精神の力には限界がある。
人は我慢しすぎると爆発する。
我慢して我慢して生きた結果、人は体のどこかに変調をきたす。はじめは肌かもしれない。内蔵に変調をきたすかもしれない。脳に行くかもしれない。
僕達はそんなに強い存在ではないのだ。
「そんなことを言う前に、親になじられることをしたから悪いんでしょう」「友達を大切にしていれば、そんなことにはならないだろう」
だからそれは、その前提が違うのだ。彼らはその生育環境がそもそも違うのだ。
こんな風に考える人たちは、そもそもそこまで精神的な限界に行ったことがない人なんだろう。
「どうしようもなく人を傷つけたい」「どうしようもなく生きていたくない」
そんなことを考えたことがあるか。
それは人の心が汚れているからじゃない。人の感情の裏には必ず理由があるのだ。
「キレやすい人」は異常ではない。
僕達と何ら変わらない。
ただただ、僕達が持っている不満より大きな不満を色々なところに抱えているだけだ。
「あの人はキレやすいからダメなんだ」
そう言うのは簡単だ。しかしこのブログでも書いたことがあるが「〜な人はダメだ」と言ったところでなんの解決にもならない。
受け入れなければ、何も始まらないんだ。
そしてさらに言えることは、
彼ら「キレやすい人」には大きな希望があるということである。これは慰めでもなんでもない。
「キレやすい人」は大きなエネルギーをもっている。
「バスジャック」がいいことか悪いことかは別として、僕達にそれくらい大きなことをやろうというエネルギーがあるか?ということである。
世の中で大きな仕事をやる人は、体の中に大きなエネルギーがある。
仕事をやっていく上で最も大切なそのエネルギーを、彼らは持っているのだ。
エネルギーを発散するその仕方が違うだけだ。
「キレる人たち」をどうすればいいか−。
それは言うのは簡単だが実行するのは大変だ。
彼に寄り添い、彼が何を考え何を不満に思っているのか思いやり、全面的に受け入れ、尊重する−。
しかしこれをやる以外に、この問題を解決する方法はない。
それしかない。




コメント、ありがとうございます。そして、その通りだと思います。
ただ、僕が少しだけ違うのは、「連帯意識」っていうのはもちろんあった方がいいかもしれないけど、「なくてもいいんじゃないか」くらいに僕は思っています。
「みんながバラバラで、だけどみんなが受け入れ尊重しあっている」
そんなのが健康かな、などと思ったりします。
ともあれ、世の中の人みんながもっと不満やストレスをどんどんはき出せるようになればいいな、と思います。
もしかしたら、そんなところにビジネスチャンスはあるんじゃないかと思ったりもします。
しかし、寄り添う、受け入れる、待つ、信じる。
私にとってはかなり難しいことです。
自分の気持ちにだって寄り添えてないのに、他人の気持ちに寄り添うなんて。。。
他人に寄り添うことに自分の価値とか存在意義を見出していたら別かもしれないけど。。
自分の気持ちを受け入てない、寄り添ってない時点で、自分にもキレる要素は既にあるってことで、せめて自分はキレないように、まずは自分大事にしようと思います。